正月早々ぶっそうな話で申し訳ないが、君はこういう話を知っているか? 「タイムマシンで時間を溯り、自分が生まれる前の親を殺したらどうなるか」
答は、「自分が生まれる前の親を殺せば、自分は生まれてこない。すなわち過去に溯って親を殺すことができない」……これが、SFの世界では有名なタイム・パラドックスである。
タイムマシンを使って過去を改変することを、「時間犯罪」という。実は私は、その時間犯罪者なのだ。え? タイムマシンが本当にあるのかって? それだけは聞かないでくれ。絶対秘密なのだから。
とにかくタイムマシンのおかげで、私はやっと老後の安心を得ることができたのだ。
私は45歳。これまである個人事務所で働き続け、その後独立した。つい先頃までは毎年送られてくる国民年金の納付書なんて、封も切らずに放っておいた。他のいろんなことは抜け目なく押さえてきたつもりなのに、なぜか年金というやつには関心が持てなかったのだ。
ところが、ある高齢者施設にボランティアにでかけるようになって私の考えは一変した。まずい! あの放っておいた国民年金、どうにかしなければ!
そこで思いついたのが、タイムマシンによる過去の改変だったというわけだ。
60歳からの任意加入期間と遡及して納付できる2年間を加えても、22年にしかならない。受給資格獲得まであと3年の不足……。だからタイムマシンを使って、過去の未納分を納付してしまおうというわけだ。
実際に作戦を開始してみると、意外に手間がかかることがわかった。まず、役所から郵送されてきた納付書を手に入れなければならない。そんな日付は覚えているわけがないから、該当する年の数日間を、当たりをつけて探索しなければならない。だが、それさえわかればあとは簡単だった。もともと自分の家だから、鍵は同じ、状差しも同じ場所、生活時間もわかっている。娘が受験勉強で夜更かししていた年だけは、慎重に忍び込む時間を調整した。
まず、3年前から5年前までは、すんなりと実行できた。去年とおととしは現実時間で追納してしまったから、これで私の「25年」は一応確保できたことになる。もちろん未来を覗けば、自分が安らかな老後を送っているかどうかがすぐわかるのだが、もしとんでもない人生になっていたら、今の現実時間で生きていくのさえイヤになってしまうだろう? だから、ムラムラッとするのを押さえて未来は覗かないことにした。
ところでこいつは「時間犯罪」だから、多少は気が咎めるが、これを罰する条文は刑法の中にはない。「公正証書原本不実記載罪」? しかし現実に、その過去の日付で納付しているわけだし、「窃盗罪」? 自分あての納付書を自分が使ったわけだし……。まあいいか、私はもともと刑事法には弱いんだ。
さてこうなると、人間っていうのは欲がでてくるものだ。25年の資格期間では、受給できる老齢基礎年金は満額の62.5%。月額にして4万円ちょっとだ。ようし、40年の満額にしてやるぞ!
こうして私は、1年、また1年と過去に溯り、過去の改変を繰り返していった。
なつかしいなあ、過去にのぼればのぼるほど、感傷的になってくる。つい街の中をブラブラと歩きたくもなる。いやいや、これ以上の危険を冒すべきではない。SF小説ならとっくにタイム・パトロールが出現して、私はとっつかまって時間牢獄に入れられ、私が改変した過去はあとかたもなく修復されてしまうことになっている。だから、自宅から納付書を持ち出して、銀行に行くだけにしよう。
最初のときはひどく緊張してしまったが、今ではもうすっかり慣れた足取りで窓口に近づき、納付書と振り込み用の伝票、それに保険料をサッと差し出す。
おや? 様子がおかしいぞ、行員は怪訝な顔で私を見つめて何か言いかけ、思い直してうしろのデスクの男性とヒソヒソ話をしている。その男性が近付いて、「お客様、このお札はどこで入手なさいましたか?」……険しい目つきをしている!
わけがわからず、カウンターの内側を見回すと、行員たちが手にしている紙幣は……。
しまった! この昭和56年の1万円札は、まだ聖徳太子だったのか!
(月報司法書士 1996年1月号掲載) |