一歩踏み出すごとに表面の固まった雪がザクザクと砕け、朽ちた倒木や湿った落ち葉が純白の間から茶色い顔を出す。熊笹の葉を踏んでズルッと滑った長靴に、かなりの雪が入り込んだ。 |
ひとくちメモ |
この「苗木」を書いたのは、福祉先進国スウェーデンにおいて、出生率が児童福祉政策や労働福祉政策で上昇していたのに、不況と失業の増加で再び低下しているというニュースが報じられた頃でした。しかしスウェーデンではその後、かなり改善されてきたようです。 少子化と経済状況の関係は、どこの国においても大きいようですが、わが国の少子化は過度に、急速に、進行しています。どうやらわが国の場合は、経済状況に加えて、子供をもつことが自分たちの(一定程度の)自由で豊かな生活を維持するには、ある種の阻害要因であると考えるような風潮が、若年世代の一部の意識の底に見え隠れしているようです。これはもはや社会経済の問題というよりも、文化の問題であるように思えます。 しかし仮にそうだとしても、一口で若い世代を批判することはできないでしょう。戦後半世紀、私たちの社会は発展を求めて効率を追求し、今なお経済効果を求めて様々な行動を続けています。その結果「豊かさ」は手にしたかも知れませんが、忘れたものも多かったでしょう。 そのように作られてきた社会から生まれた意識だとすれば、当然といえば当然です。 以前、月報司法書士の当基金のコーナーで、「公的年金」の「横」と「縦」のひろがりについて述べたことがありますが、一人ひとりの人間の存在にも横と縦のひろがりがあって、現状は横の関係=現実の社会関係に厳しく拘束されているように思えます。縦のひろがりは現実の社会ではややこしく、かつ一種の重圧になっているようです。ある意味では、今の若者が将来(年金制度に関するものも含めて)負担しなければならないだろうとされる事柄の数々は、重圧を通り越して、漠然とした絶望感すら抱かせているのかも知れません。 司法書士年金=国民年金基金がそのための特効薬になる、とまでは言えませんが、少なくとも、加入員が自助努力で老後を支える年金制度は、若い世代の将来の負担を幾分でも軽減する力になれるということです。効果のある手法は、ぜひ活用していただきたいと思います。 |