第12話 土台消滅     作・小林隆雄
 カミさまに会ったのは、公園の若葉の香りを楽しみながらハンバーガーをパクついているときだった。一見初老紳士風の、よく見るとちょっとくたびれたおじさんがベンチの隣に腰をおろすと、いきなり、
「わたし、カミさまだけど、あなた、不動産のことに詳しそうだから、話してあげるね」
 と切り出してきたのだ。
「あのね、納めるべきものをちゃんと納めなかったら、どうなるか知ってる? たとえば、税金とか、借りたお金とか……」
「それは、差押えをくうか担保物件を取られてしまうでしょうね」
「そうなの。それで、この地球という星は、納めるべきものをもう長いこと納めてくれないの。だからサシオサエしなくっちゃいけなくなってしまったわけ。だから今、都庁と東京法務局へ行って閲覧してきたわけ」
「そりゃあ大ごとですねえ。それで、だれが何を滞納したって言うんです?」
「そういうだれとか、会社や政府や国とか、そんな小さい話のことじゃないの。人間みんなのエネルギー! 簡単に言うと、類的生命体の根源的向上心ていうか、成長しようというジェネティック・コードというか、生命の情念みたいなものね」
「ちっとも簡単じゃないけど、人間はダメですか?」
 カミさまは眼鏡をとって顔をツルンとなでた。
「ダメね。種としては失敗だったみたいね。戦争はやっちゃうわ動物は絶滅するまで食っちゃうわ、空気は汚すわゴミは出しっぱなしだわ、借りた金は返さないわ税金は飲んじゃうわ……」
 ハンバーガーは食べ終わってしまったし、カミさまにこれ以上付き合っているヒマもないので、もうそろそろ事務所へ帰ろうと思い、「それじゃまあ、しっかり差し押さえてくださいね」と言って立ち上がると、
「ところでついでに社会保険事務所へも行って来たんだけれど、国民年金のお金を払わないとどうなるか、知ってる?」
 カミさまもぼくと一緒に立ち上がって、ニヤニヤしながらそう言う。
「さあ、知りませんね」
「そう、土台が消えちゃうのよ。すると上に乗ってるのも、パーなわけ。みんな、払うものを払わないから、土台ごとパーになっちゃうわけ」
 カミさまはぼくが立ち去ろうとするうしろ姿に、まだ話しかけてくる。
「土台っていうのは、言わば底地ね。いっとき地上げっていうのがはやったでしょ。あれと同じ現象なわけ」
 ぼくがだんだん遠ざかるので、カミさまの声も次第に大声になっていく。
「おーい、この前は、アトランティス大陸をひとつだけ、サシオサエたけど、今度は、みんなもらっていくからねえーっ!」
 昼下がりのヒマつぶしにしては、たいして面白くもなかったな……そう思いながらちょっとうしろを振り返ってみると、もう公園にカミさまの姿はなかった。
 急激な眩惑に襲われたのはその直後だった。「地震かっ!」
 足元の地面が急速に薄れ、半透明になり、フッとかき消えた。周囲の並木が、ビルが、車が、大勢の人々が、そしてぼくも、一瞬宙に浮かんだかと思うと、はるか下方の泡立つ海面に向かって落下を始めた。

(月報司法書士 1996年5月号掲載)
  ひとくちメモ
 国民年金が誕生したのは昭和36年(1961年)のことです。サラリーマンや公務員等にはすでに厚生年金や共済組合がありましたが、自営業や農業の人たちにはこのときまで公的年金制度がありませんでした。
 それから25年後の昭和61年(1986年)、公的年金制度は大きく改正されました。それは、国民年金をすべての公的年金の土台とする改正でした。従来は独自の制度であった厚生年金、公務員等共済組合の加入者も、土台部分が共通の「国民年金の被保険者」として、次のように区分されるようになりました。

 ●第1号被保険者……従来から国民年金の対象者であった人たち(自営業、その配偶者、無職、学生、パートで厚生年金に加入していない人、等)
 ●第2号被保険者……厚生年金、公務員共済組合等の加入者
 ●第3号被保険者……第2号被保険者の被扶養配偶者

 厚生年金も共済組合もそれまでは別個に受給資格を定めていましたが、土台を共通化することによって、国民年金の受給資格を得る=厚生年金等を受給できる、という仕組みになりました。
 しかし、このように改正されてから17年経った今でも、昭和10〜20年代生まれの人たちにはかつての厚生年金や共済組合のイメージが根強く、国民年金が共通の「土台」であるということが意外に知られていないようで、ときどき驚かされます。
 厚生年金の場合、「被保険者期間が1年以上ある」「受給年齢(現在は満60歳)に達している」「老齢基礎年金(国民年金)の受給資格がある」の3つが受給の要件になっています。国民年金は原則として満20歳から60歳に達するまでの40年間加入し、保険料を納めた期間(第2号、第3号の期間はこれに該当します)が25年あれば受給資格は得られます。
 保険料を納めていなくても資格取得のために合算される期間もいくつかあり、たとえば、昭和61年以前のサラリーマンの被扶養配偶者=当時は「任意加入」の対象者で、加入していなかった期間等は、年金額には反映しませんが期間計算には合算されます。※ちなみに、このような人たちは昭和61年以降は「第3号被保険者」になっています。保険料の納付が困難な場合は免除の制度があり、これも加入期間として計算されます。
「老齢基礎年金の受給資格を得る=国民年金25年納付」は、すべての公的年金の前提です。この前提がなければ、過去に保険料を納めたことがある厚生年金等も無に帰してしまいます。また、充実した老後設計のために「司法書士年金」への加入を考えても、実現できません。司法書士年金もまた、国民年金という共通の土台に乗っている制度だからです。
 さらに、未成年で障害者になった場合は20歳から障害基礎年金が給付されますが、成年者が国民年金を未納にしている状態で障害者になった場合は、無年金者になってしまいます。
 老齢基礎年金の受給資格を得ることは「押えておくべき最低条件」であること、未納・放置・無関心には常に大きなリスクが潜んでいることを、ぜひ理解して欲しいと願っています。