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国民年金基金がお役に立てるなら(2016年1月号から3月号まで)
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国民年金基金を“守りの備え”に。(2016年4月号から6月号まで)
国民年金基金の活用のメリットを!!(2016年7月号から9月号まで)
国民年金基金でできること?(2016年10月号から12月号まで)
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(2016年1月号から3月号まで掲載)
国民年金基金がお役に立てるなら

  年金積立金とは“遊水池”のようなもの……


 公的年金に関する最近の話題は、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が、2015年7月〜9月の四半期の年金積立金運用で約7兆9,000億円の損失を出したことでした。金額の大きさに不安や批判の声もかなりありましたが、おおむね、短期の数字で動揺するのではなく長期的に見るべき、というような論調に落ち着いた感があります。その直前の四半期の運用益はそれなりのプラスということですから、確かに一喜一憂は性急かも知れません。国民年金・厚生年金の年金積立金はおよそ150兆円ほど(常に変動)、もともと単年度の保険料収入を給付するわけですから、積立金とは不足が出たら補い余剰が出たら積み立てるという“遊水池”のようなもの、と理解したほうがよいでしょう。
 ただ、批判の多くには運用方法に疑問を呈するものがありました。株式運用の比率の高さ、ハイリスク・ハイリターンは正しいのか、などです。 GPIFにも国にもそれ相当の理由があるのでしょうが、年金は全国民の生命線であるわけで、多くの国民がなるほどと思えるような、わかりやすい議論や周知に務めてほしいと思います。

  様々な課題に悩んでしまいます。

 ところでもう一つの話題は、2015年10月1日から、国家公務員、地方公務員、私立学校教職員の各共済組合が厚生年金となり、一元化されたことです。今後一定の期間をかけて料率その他細部の調整を行うそうですが、これにより被用者年金は国民年金を土台とする一本にまとめられます。
 しかしこれは超高齢化、超少子化問題には、何らかの効果をもたらしてくれるものではないでしょう。
 前記の“遊水池”は、河川の水量が安定しているときは稼働させませんが、上流の水が減ってしまったら放水して、農業や産業の水を補います。放水が長期間続けば、遊水池が干上がる前に新たな水源を工面しなければなりません。ひたすら雨が降るのを待つというのは、残念の極みというべきです。
 公的年金制度には、新たな水源を工面する良策が見つからない、というのが現状なのでしょう。経済がよくなれば厚生年金はある程度一息つけるかも知れませんが、人口構成の課題、人口減少の課題、税負担の課題、負担と給付のバランスの課題等々……年金制度全体に及ぶ問題点だらけであることに悩んでしまいます。

  自助努力は、自分のためだけのものではありません。

 このコーナーでは、繰り返し自助努力の大切さを訴えてきました。自助努力とはもちろん自分のためにすることですが、巡りめぐって他の人々のためになることもあると述べてきました。
 経済的に豊かな人々は老後の備えに努力する必要はないと考え、そうでない人々は努力したくてもできないと考えるのでしょう。それでも何かできる人々は決して少なくはないと思います。
 豊かな人は、自助努力で得た果実を、たとえば何らかの税で社会に還元する、寄付をする、自分が受給するものを減額する仕組みを考えるなど、様々な方策を思いつくかも知れません。そうでない人は、万一のために蓄えるものを自分の終身までの助けにスイッチして、少しでも老後の安心を得ることができるでしょう。
 安定した雰囲気の世間は、結婚や出産、子育て、勉学、勤労にも必ずよい影響を及ぼすと思います。最初は微々たるものでも、よい雰囲気が次第に拡大すれば、19世紀のような格差社会が復活すると指摘され始めた今日でも、理想的な社会作りへの道に一歩でも戻っていけるでしょう。
 司法書士年金(国民年金基金制度)が、様々な方策のひとつとしてお役に立てるなら、うれしいと思います。
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(2016年4月号から6月号まで掲載)
国民年金基金を“守りの備え”に。

  格差の拡大は想像以上に急速なようです。

 格差の拡大が世界的な問題となっています。国際協力団体であるNGO「オックスファム」の本年1月の報告書によると、2015年に世界で最も裕福な上位62人の資産の合計は、この5年間で44%も増え、経済的な下層の人口の半分(約36億人)の総資産とほぼ同じになったというのです。
 2010年には“上位388人分の資産=世界人口の下位半分の資産”でしたが、2015年までの推移は上位の資産増加に対して下位の資産が41%も減少し、“上位62人”という強い偏在となったようです。これについてオックスファムは世界各国の指導者に対し、最低賃金、男女の賃金格差、税制などの是正への取り組みを求めています。
 同報告書によれば、世界の貧富の差は過去12か月間で“劇的に拡大”し、富裕層1%の富は他の99%の富の合計を上回るという1年前の予測が、現実のものとなったとしています。
 わが国においてもさまざまな形で格差が目に見えるようになってきています。非正規雇用や賃金の支払い問題、生活保護受給者の増加等々……。下流老人、漂流老人、貧困女子、貧困児童、介護離職という、数年前までは聞かれなかった言葉が、テレビのニュースや新聞の紙面に頻繁に現れるようになりました。日銀の統計では、昨年末時点で個人が保有している預金や保険、投資信託などの金融資産の残高は、1740兆8664億円、しかし他方では、働く単身女性の3分の1が年収114万円未満、などという実態も報道されています。

  社会保障環境の低下が気になります。

 今とても気になることは、社会保障環境が次第に低下していくのではないかということです。公的年金はすでに昨年度からマクロ経済スライドが適用され、物価や賃金が上昇してもそれにシンクロしないことになっています。団塊の世代はすでに高齢者となりましたから、長寿化の要素を除けば高齢者が増加していく傾向は一定程度は抑えられますが、若年世代が急に増えるわけではありませんから、社会の負担は当分増加を続けることになるでしょう。選挙において高齢者の票は重要な要素のため、当面はそう悪くはならないだろうなどという楽観的な見方をする向きもありますが、それは高齢者偏重に繋がり、皮肉にも一方の政治的無関心が多そうな若年世代の負担をますます増加させることに繋がります。
 医療においても世代間格差が生じ、高度医療は高齢世代の層が求め、若年世代は健康保険料を納付する経済力もない、しかし健康を損ねているわけでもないからあまり気にしない、実感がない、という状況が拡大していきそうな感があります。
 マイナス・イメージの話題ばかりになってしまいましたが、これは世界的な動向と無関係でないため、見過ごせない問題であると思います。

  自己決定・自助努力の検討を切望します。

 もう一つ注目しておきたいことがあります。1960年代以降日本社会の常識となった“一億総中流意識”です。高度経済成長期〜安定成長期は、大量生産で商品の価格が下がり消費が拡大し、経済成長により所得が増え、社会保障や雇用環境が安定し、およそ90%の国民が自分は中流であるという意識を持ちました。クレジットやローンなどの金流は消費の心理に大きな影響を及ぼしました。
 驚くことに、この中流意識はバブル崩壊後もリーマンショックの後もほとんど変わらず、2013年の内閣府の世論調査でもなお90%を超えているということです。もし経済のサイクルのどこかに風穴が開いたら、人々の実際の社会経済活動のダメージは当然ながら、心理面で崩壊するのではないかという危惧を抱いてしまいます。
 前向きな経済活動、消費活動、社会活動は“攻め”、貯蓄や保険は“守り”でしょう。守りは基本的に自助努力によって行われます。守りをおろそかにしてはならないことは、戦国の時代も今も変わりません。
 たとえば、生命保険は遺された方々のための守りの備え、年金は自分が生存している間の守りの備えです。公的年金が重要なのは言うまでもありませんが、もし上記の事柄に何かをお感じになられたら、ぜひ自己決定・自助努力の方策を少しでも良いから、検討を始めていただきたいと思います。
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(2016年7月号から9月号まで掲載
国民年金基金の活用のメリットを!!

  イギリスのEU離脱の波紋は、どう広がるのでしょう。

 6月末の〝イギリスの国民投票、EUから離脱”というニュースは、世界中に衝撃を与えました。これが今後どのような影響を及ぼしていくのか、新たな激動の始まりなのか、冷静に安定さを取り戻していくのか、今のところ全くの未知数です。波紋はいったいどのように広がっていくのでしょうか。予想できるのは、経済に関する情勢は、日本も世界もこれまでと変わらないというような楽観的な見方はするべきでない、ということぐらいです。
 社会保障の理念や社会時評的考察は、中・長期的には必要ですが、先の読めない現在の状況下では、今すぐ、少しでも役立つように、老後設計の目安の立て方や自助努力の必要性を考えてみることにしました。
 厚生労働省は、過去数年間の国民年金・厚生年金の平均受給額を公表しています。その数字は、同省が示す「年金モデル=夫40年間厚生年金・妻40年間専業主婦、夫婦で受給する年金額はおよそ240万円」というものにかなり近いので、それに基づいてひとつの仮想モデルを立ててみました。

  仮想モデルでシミュレーションしてみます。

  ◆シミュレーション設定
 仮想モデルは、夫婦二人で受給する年金の目標を年額240万円(月額20万円)とします。
 夫は10年間の厚生年金期間があり、脱サラ後は自営業で、国民年金は学生時代の猶予期間も含めて60歳までの分をすべて納付する、と設定します。
 妻は40年間国民年金(夫が厚生年金期間中は第3号被保険者)、夫も妻も同年齢とします。
 条件は、どちらが先に死亡しても一人分の年額120万円(月額10万円)を受給できるようにすることとします。
さて、これで目標に届くのでしょうか。

  ◆シミュレーション結果
①受給額は、夫の老齢厚生年金は約108万円程度です。妻は老齢基礎年金満額の約78万円。夫婦合わせて186万円で、目標には54万円足りません。
②受給開始後で、夫が先に死亡した場合は、老齢厚生年金の報酬比例部分(10年分)の75%=約22万円が遺族厚生年金として妻に支給されます。これで妻は100万円を受給することになりますが、一人分の目標にはまだ20万円足りません。
③反対に、妻が先立った場合は夫が受給できる遺族年金はありませんので、目標には12万円足りません。

 ※計算の方法 ……上記のうち個人差がある厚生年金について補足すると、厚生年金は基礎部分(国民年金)と報酬比例部分で構成されています。あくまで目安ですが、厚生年金期間(年数)×3万円でおおよその報酬比例部分が計算できます。厚生年金期間と国民年金の期間を合わせた年数×2万円でおおよその基礎年金部分の金額が出ますので、合算すれば、多少の誤差はありますが、受給額が推定できます。
 このシミュレーションは、事業の収入、資産、預貯金や有価証券、個人年金保険等については考慮しておらず、公的年金のみのものです。しかし年金は、事業収入がなくなっても資産等が減少しても、生涯にわたって受給できるという大きな特徴があります。老後に必要と考える金額は個人によって異なりますが、このシミュレーションの手法からスタートする意味は大きい、ということをご理解いただきたいと思います。

  国民年金基金で不足分を補う自助助力は、まだできます。

 シミュレーションの不足分は、国民年金基金の基本の1口目を35歳未満で加入するなら、24万円(月額2万円)補えます。フレキシブルな2口目以降を組み合わせて設計すれば、さらに充実させることができます。
 ただし、この制度を活用していただけるのは、60歳未満の方です(特定加入の例外がありますが)。
 35歳未満の加入がベストですが、60歳直前まで活用いただけます。掛金の詳細は、当基金に直接お問い合わせいただければ、年齢の高い方が掛金表を一瞥されたときに感じるであろう掛金額の不利なイメージも、低金利の今日ではあまり影響がないこと等の詳細を説明させていただきます。ぜひご一報ください。
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(2016年10月号から12月号まで掲載)
国民年金基金でできること?
  “さまよう遺骨”のショック。

 いささかショックな話題でした。『さまよう遺骨 広がる“0(ゼロ)葬”』というニュース番組を見たのです。
“ゼロ葬”とは業界用語らしいのですが、家族が葬儀も、遺骨の引き取りも、埋葬もしない、墓も作らない、という傾向のことで、墓が準備できるまでの一時的な「預骨」、家族が埋葬しない遺骨を引き取る「迎骨」、宅配便で送り合同のお墓に埋葬(合祀)してもらう「送骨」などの、新しいサービスが広がっているというのです。
 最近は「家族葬」という言葉がよく聞かれ、旧来では海や大地への散骨というものもありましたが、全く知らなかった“ゼロ葬”は、それらとは次元を異にするものでした。この詳細は記しませんが、驚くことに、ネットで検索すると想像以上に大量の情報に行き着くのです。それらの情報から強く感じたのは、これまで当たり前とされていた家族による弔いが、いえ、それに象徴される家族そのものが、どこかへ漂流し始めたという印象でした。
 番組ではコメンテーターの作家の方が、“遺骨も哀れだが、(とうに離婚した夫の)遺骨を引き取らなきゃいけない家族も哀れ」、「 核家族化、親戚のつながりが薄れる中で、みんなで分かち合う『家』を支える“戦力”が低下」、「生きている間は家を意識しないでも済んだが、亡くなった後に遺骨を引き取るのは家、といきなり浮上し突きつけられてしまう。それを支えるための戦力が本当に落ちていると思う」と述べていました。

  家族の有りようは、世間の有りようは、どのように変わっていくのでしょう。

 上記の現象からは、家族観の変化、希薄化への焦りだけでなく、家族が家族を互いに支えきれない現実の哀しさ、やり切れなさも感じました。
 戦後の復興から成長への時代は、労働力の急激な都市集中と核家族化でした。これにより旧来の地方や農村部の大家族は衰退していきました。これはある種の国策でもあったので、公共サービスや扶助は充実、 拡大してきました。東アジアは伝統的に一族や家族の相互の扶助によって支えられてきた傾向が強かったですが、わが国においては急速に公的な扶助へと移行してきました。
 これに近年の超少子化と超高齢化、労働環境の変化等の動向を加えると、親の介護の困難化や独居高齢者の増加による家族の疲弊・希薄化・衰退などの現実が浮かび上がってきます。
 一族や家族の相互扶助に代わる公的な扶助が充実し、さらにインフラが充実すると、個人はそれを前提として生活を組み立て、普段は家族や家というものをあまり意識せずに暮らしているので、それらのサービスや扶助の機能が低下すると、人(個人)はたちまちその影響を被ることになるのではないかと思います。介護の問題は緊急性においてもその代表格かも知れません。介護する側も介護される側にとっても、です。

  試算をしてみたら、かなりの驚き! でした。

 思ってもいなかった変化に対応していくには、どんな方法があるのか……それらの変化のスピードには戸惑ってしまいますが、今できることが何かあるのではないでしょうか。
 気になる介護保険を考えてみました。16年前に「措置」から「契約」に移行して保険制度となり、その後も保険料引上げ等の改正がなされ、財源や収支のバランスの厳しさから更なる改正が検討されています。
 現在、保険料を納めるのは40歳からで、被用者なら半額は事業主負担です。65歳からは被保険者の区分が変わって段階的な保険料が新たに適用されます。かなり多くの人は、65歳になると通知が来て、年金から特別徴収で天引きされて、そのときになって初めて保険料の額を知ることになるのです。
 将来収入が年金だけになったとして、年金所得がだいたい80万〜120万円程度だったとしたら、年6万〜7万円ほどの介護保険料を納めることになります。この額は所得に比べて結構割高感があります。年金から天引きされるのはこれだけではありません。それぞれ一定の要件のもとに、所得税、住民税、健康保険料等が徴収されます。これらを合わせるとかなりの額にのぼり、年金振込通知書を見て驚くことになります。
 現在では若い世代の方々も、年金定期便等で将来の年金額が推定できます。でも天引きされるものがあることはほとんど意識されないでしょう。しかし国民年金基金の1口目だけでも加入していたら、かなりカバーできるはずです。余裕ができたらいずれ自助努力の国民年金基金も……と考えるのは若いうちは当然かも知れません。でも、試算してみたら、かなりの驚き! というのが率直な感想です。
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