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自助努力で確実な自己防衛を。(2014年1月号から3月号まで)
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自助できる人から順に実行を…(2014年4月号から6月号まで)
自助努力ができることの重要さ(2014年7月号から9月号まで)
自助をアクティブに考えてみる(2014年10月号から12月号まで)
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(2014年1月号から3月号まで掲載)
自助努力で確実な自己防衛を。

公的年金の“特例水準”分の引き下げが始まりました。

 2013年の暮れは、特定秘密保護法案の国会審議と法の成立、国の防衛に関する隣国との問題など、緊張が連続する時期でした。詳細な新聞報道も見受けられましたが、多くのメディア、特にテレビの反応は低調であったように感じます。そんな状況でありながら、生活保護費の抑制策を盛り込んだ「改正生活保護法」や「生活困窮者自立支援法」が成立したこと、社会保障給付費が過去最高の約107兆5000億円だったことなどは、さらに目に触れにくく、テレビからの情報を中心に世間と接する傾向が強い高齢者世代の方々には、ほとんど意識されていないように思えました。
 それらの話題より世間の関心が高いと思われる景気回復、政府が推進する経済政策は、残念なことに、一部の分野を除き市井の人々の間には未だほとんど恩恵をもたらしていないようで、若い人たちの就業難も改善されているようには見えません。迫る消費税増税等も憂鬱な影を投げかけているようです。
 そんな中、2013年12月に支給された10月・11月分の公的年金が1.0パーセント引き下げられました。
 公的年金は物価スライドの仕組みを基本としています。9月までの年金額は、過去の物価下落時に支給額を据え置いたために本来より2.5パーセント高い“特例水準”となっており、2015年までに3回に分けて支給し過ぎた分を修正する、というのが今回の措置です。物価下落に合わせた引き下げがなぜそのままにされ、この度“段階的に引き下げる”ことになったのかは、様々な事情があるのでしょうが、突然の通知と減額に驚かれた受給者もいたことでしょう。

自助努力・自己防衛のシステムとしては最良の選択の一つ。

 “自助努力”の国民年金基金には、今回の引き下げのような影響は及びません。それは、掛金を自分で積み立てる方式だからです。加入時プラスその後の任意の増減口の設計が、「60歳の掛金支払い完了〜65歳受給開始〜終身受給」と続いていきます。もちろん日本や世界の情勢の悪化、経済の劇的な変化まで免れることはできないでしょうが、それは極論で、現在の自己防衛、自助努力のシステムとしては最良の選択の一つといえると考えます。
 幸い司法書士年金は、原則として加入可能な60歳未満の会員約9000名のうち、掛金積立中3000名弱。すでに65歳に達し受給中の1700名強と60歳〜64歳の受給待機中の950名弱を加えると、加入者の総数は、5500名強となっています。設立以来の加入者の累計は6700名を超えました。
 受給する年金の原資は加入者の方々が積み立てた掛金ですが、「基金」という如く、土台が常に安定的であればより健全な運営ができ、誰かが受給を始めると誰かが加入し、その人が受給を始めるとさらに新たな誰かが加入する……というサイクルが維持されます。
 地域型は都道府県単位のため未加入人口も多く、少子高齢化の直接的な影響は受けにくいですが、職能型基金は、業種の盛衰の可能性という要素を除けば、さらに少子高齢化の影響を受けません。
 司法書士年金では、未加入の会員の皆様はもちろんですが、事務所の従事者の加入も強くお勧めしています。加入条件などの詳細は、パンフレットやホームページをご覧いただければ幸いです。

●死亡率変化等に伴う財政再計算で、4月に掛金改訂が予定されています。早めのご検討をお勧めします。
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(201年4月号から6月号まで掲載)
自助できる人から順に実行を…

“実際の話”ふたたび……。

 3年前にF氏の“実際の話”を書きました。40歳直前に脱サラをした自営業、数年間は国民年金の「免除」申請をしてきたこと、仕事の関係で年金制度を調べるうち危機感を募らせ免除分を追納、やがて地域型の国民年金基金に加入したこと、等々……。60歳から受給開始となった厚生年金(報酬比例部分 ・特別支給=徐々に受給開始が延伸されていく)と基礎年金の全部繰り上げで、十分とはいえないまでも年金を受給、それまでの薄氷を踏む思い、強い不安から少しは解放され、現在はまもなく始まる国民年金基金の支給を待っているところです。(月報『司法書士』2011年5月号、6月号の本コーナーをご参照ください)
 ご存知のように公的年金額は現在、調整のための2.5%の減額が段階的に行われているさ中。もともと少ない年金の減額は痛いですが、まもなく妻が60歳に達するとその国民年金保険料、国民年金基金の掛金が必要なくなるため、その分はプラスとして計算できると考えているそうです。
 今回の“実際の話”はF氏の息子の話。30代前半、他県で妻と共に自営業。妻はかつて勤務していた経歴があり、将来厚生年金が少々受給できそうです。しかし息子の方は学生時代は納付猶予、卒業後直ちに開業したので、数年間は申請免除(一部免除も含む)でしたから、将来の年金額は十分というには程遠いです。 F氏は息子に、仕事がある程度軌道に乗ってきたのなら国民年金基金に加入してはと勧めました。これに対して、軌道に乗るのはまだまだ、仕事には資金が足らないくらいで、現在の厳しい経済状態ではその余裕はない、との答えでした。でも年金の重要性は父親から何度も聞かされているので、免除分の一部は追納したし、基金加入についてもいずれは本気で考えたいと言うのです。これは若い人のパターンの一例です。たとえ理屈ではある程度分かっていても、現状は目いっぱい、老後を想像できてもそれはあくまでイメージで、実感がないのは当然でしょう。ほんの一部でも追納までしたというのは、上出来なのかも知れません。

 日本の未来である若者たちに不安を抱かせたくないのです。

 それよりも気になるのは、「年金は信用できない」「どうせもらえない」という声が再び聞こえることです。一時期は若者たちの年金意識が高まりつつあることを感じていただけに、残念です。それでも「信用できない」「どうせ」という言葉の裏には、分かっていて、不安はあるが、どうしようもないというニュアンスが窺えます。それでもわずかな期待は残されているようにも思えます。頭から「興味がない、関係ない」と突き放してしまう若者たちに比べれば、まだ良いのでしょうが、日本の未来である若者たちに失望や不安を抱かせる状態は、「政治の失敗」と言えるでしょう。
 税と社会保障の一体改革はぼんやりと霞んでしまい、年金の税方式や最低保障年金などの政策は後退してしまいました。年金、医療、介護等の政策はこれまでほとんど高齢者に向けられてきましたが、それも縮減や負担増を見せつけられ……。若者世代にも向けた施策は経済対策(雇用、所得等に結びついた場合ですが)だけ、というような有様です。
 老後という言葉からは中高年世代の姿が浮かびますが、実際は若者、赤ちゃん世代まで含めてイメージしな
ければならないのです。あらゆる世代の、一生の問題です。

 「自助」は自分で選ぶもの。

 国民年金基金の仕組みは自助努力・積立方式です。しかし「自助」は自分で選ぶもので、国民の老後への対応の不十分さに対して高所から人々に「自助」を求めるのは、正しいあり方とは思えません。
 自助を選択できる人たちはまだ幸いです。したくてもできない人たちが存在していることに思いを致し、自助できる人から順に実行を始めていただきたいと願います。それによって生じた隙間に、日本の未来である若者たち、これから生まれてくる子供たち、もしかすると生まれる可能性が蘇る子供たちのための、公の施策を注いで欲しいです。それが人間らしい文化、文明であるだろうと思います。今急速に進んでいる、「国難」とさえ呼ばれる日本の人口減少に対しても、少しでもブレーキの役目を果たして欲しいと考えます。
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(2014年7月号から9月号まで掲載
自助努力ができることの重要さ

 衝撃的な“極点社会”の危機


 この数ヶ月、重大なニュースが次々と報じられていますが、地方から大都市への人口流出が止まらない、すなわち地方はどんどんやせ細り、東京などの大都市への一極集中が進行しているというニュースも、とても衝撃的でした。日本創成会議(民間の有識者団体)の発表によると、全国自治体の約半数、900弱の市区町村が2040年までに消滅する可能性がある、とのことです。その中には過疎地だけでなく、東京の区や県庁所在地の市、観光の町まで含まれていましたから、驚愕です。
 このニュースはご存知の方が多いと思いますので、背景も勘案しながら要点のみを整理してみました。
 ①出生が少ないうえに、高齢者が減り始めている地域が増大→②高齢者の年金等に依存する購買力が低下。預貯金高も減少→③地方経済が縮小。若年者の雇用が減少し、大都市に流出。都会の若年貧困層の拡大も……という図式です。地方では「限界集落ではなくて、消滅集落、崩壊集落」という危機、過度の集中が起こる大都市では「極点社会」の危機、そして日本社会全体では都会の女性の非婚で「少子化がさらに進行する」、という連鎖が起こっているようなのです。

 時が経てば経つほど少子化は深刻な事態に

 本コーナーでは十数年も前から、経済状況が好転しても、少子化は赤ちゃんが成長する時間を考えれば短期には改善できない、と繰り返し述べてきました。しかしとても残念なことに一向に好転しませんでした。子供の少ない年が何年も続き、それが長期化してマイナスが累積されていくのですから、対策が立てられずに時が経てば経つほど、事態は深刻になっていきます。
 一方高齢者も次第に減少し、基礎年金も被用者年金も今後は次第に受給者が減っていくのですが、それ以上に“扶養者”である若年層が減少していきます。このような状況下で、「65歳まで雇用延長」「支給開始を70歳まで繰り下げ」などの、説明を省いたインパクトのある言葉だけが人々の間に浸透し、若年層ばかりか中高年層まで年金制度への信頼感が低下しているようです。かつての政権が唱えていた税方式、最低保障年金プラス自助努力、などという案は現在の政治においてはすっかり影をひそめ、社会保障の財源だったはずの消費税増税もどうやらそうではないらしい……という不信感も、それを後押ししているかのようです。

 「自助努力」を自己決定できる

 そんな中でも、「まだ自助努力はできる」という可能性は、国民年金第一号被保険者にとっての光明です。
 国民年金基金は、国民年金(基礎年金)の土台の上に組み上げるもので、土台部分の規模や構造が変化しても、自分で設計した二階部分に変化はありません。「65歳から受給する年金の原資は、現役世代が賦課方式で拠出するものではなく、『加入員個人が積み立てた掛金』であること、預貯金の積み立てと本質的に異なるのは、年金として『終身受給』するものであること、『一定の遺族保証制度』もあること」などです。
 今、識者の間で、公的年金制度の複雑さや難解さのために改革を求める機運が高まらないことに、大きな危機感が持たれているようです。そして国民がこの状況を真剣に受け止め、早急に議論しなければならない、との主張も聞かれます。しかし多くの人々は、議論は政治に委ね、被用者年金は勤め先に委ね、国民年金は流れに委ねる、というのが実情ではないでしょうか。
 でも、「何か打つ手はないか」と少しでも問題意識を持たれた方には、自助努力を自己決定するという方策が残っています。すでに基金の受給者や待機者の多くの方々は、国民年金基金制度の意義を感じていらっしゃると思いますが、ぜひそのことを身近におられる次世代の会員各位に伝えていただければ、と念願しています。
 冒頭関連の話題に戻りますが、現在の若者たちが結婚したくてもできない理由は「めぐり合いがない」「仕事に打ち込みたい」「収入の不安」だそうです。1番目は別として2、3番目は、1950〜1970年代はどうだったでしょうか、あのころは現在より恵まれていたでしょうか。若い世代に意識の改革を促すことも人生の先輩としての一つの役目ではないかと思ってしまうこの頃です。それは年金のことではなく、未来のための切なる思いです。
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(2014年10月号から12月号まで掲載)
自助をアクティブに考えてみる

 高齢化、少子化、人口減少の最新データを並べてみました。

 1: 高齢化 ---- 敬老の日を目前に総務省が発表した推計によると、65歳以上の人口は3,296万人(過去最多。昨年より約110万人増)で、国民の4人に1人が高齢者、さらに国民の8人に1人は75歳以上の後期高齢者となっています。高齢者が増加する大きな理由は、いわゆる団塊の世代がほぼ全員65歳以上となったことです。加えて長寿化も進み、100歳以上の方は5万8,820人(過去最多。昨年より4,423人増)でした。
 2: 少子化 ---- 厚生労働省が発表した2013年の合計特殊出生率は、1.43(前年比+0.02ポイント)と、 2年連続の上昇で1996年の水準に回復、30代の女性を中心に第2子、第3子も含めた出生率が高まり全体を押し上げている……としていますが、もともと出産適齢期の女性は減少していたのですから、実数を見なければ実情はわかりません。出生数は102万9,800人(過去最少)で、出生率が高まったというのに前年より7,400人減ったということです。
 3: 人口減少 ---- 日本の人口は、8月には1億2,713万人。1年前に比べ20万人以上減少しています。死亡数は前年より1万2,000人増の約127万人となっています。経済活動を担う15歳〜64歳の生産年齢人口は、前年比約117万人の減少となっています。この傾向は相当期間止まらないと想定されています。
 人口減少は、高齢化と少子化の両方を同時に見る必要があります。高齢者の増加は事実ですから変えることはできません。残るキーポイントは、「未来」、すなわち「今後、出生数が増えるか」ですが……。
 前回、若者たちが結婚できない理由は「巡り合いがない」「仕事に打ち込みたい」「収入の不安」だと書きました。2番目の答えは少々疑問ですが、収入の不安は切実です。少子化対策の決め手は、若者の雇用対策、そして安心して子育てできる環境整備。……もちろんこれが最も重要な施策でしょう。でも、それでは雇用(収入)と社会政策さえ改善すれば結婚でき出産が増えるのか? 以前からのそんな疑問が再び湧き上がりました。
 最初の「巡り合いがない」についていろいろと調べ、考察すると、次のようなことが見えてくるのです。

 若者たちの層を、一応、1970年代半ば〜90年代半ば生まれと想定します。その親の層は戦中〜70年代半ば生まれと想定すると、親世代の人生は、戦後の復興期〜高度成長・好景気〜バブル崩壊期でした。バブル崩壊後も「そのうち戻る」という空気が強かったですから、ほとんど右肩上がりの風潮の中で暮らしてきました。
 このような親世代のもとで育った子供たちは概ね、大事に、不自由なく、例えば専用の部屋やツールを得、自分の世界を作り、その代わり親世代が味わった世間のナマの軋轢ではなく、別質の軋轢を経験してきました。
 その軋轢の典型は人間関係形成に現れているようです。簡単に言えば希薄ということでしょうか。他人と深く関わって傷つくことを避ける、恐れるというような、心理学者、精神科医等からの指摘を目にしています。出会っても巡り合いに発展しない、自分からは発展させない。自分からではなく、人から求められることを望む。どちらかといえば自己評価が高い、過大……。そんな意識傾向も強いようです。
 この傾向は、「就活」の現場に見られる求職者と求人企業間の“ミスマッチ”と、良く似ているように感じます。これを乗り越えるにはどうしたら良いのでしょうか。意識改革、といったら少々大げさになりますが、発想の転換を図ってみることが必要ではないでしょうか。その先に新たな道筋が見えてくるような気がします。

 ポジティブに考えることができたらアクティブになれるかも

 若者世代だけに求めるのではバランスを欠くので、親世代も発想の転換が求められます。若者世代が知らない1960年代はどうだったのか、「ひとりでは貧しくても、ふたりならやっていける」「6畳ひと間から始まった」、などという情報を伝えていくことは大切です。「時代が違う」と言うなら、60年代と、80年代と、現在の違いを伝えていくべきでしょう。親世代も、かつて得たものは現在も当然得られるという観念から脱する努力が肝心です。それが認められないなら、消費税増税分は社会保障費に全額使うとしながら5分の1しか充てられない、自治体財政が破綻寸前だから新採用を減らす(=若者の雇用減)、などという不条理を認めないことが必要でしょう。
 公的扶助がどんどん削減される下でも、まだまだやれることはありそうです。後退だけに囚われず、何とかしてみせるとポジティブに考えたら、何らかの手法はきっと見つかるでしょう。「自助」とは人に(特に政治に)言われてするものではなく、自ら決定して行うものだと思います。
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