第17話 未来の色は?     作・小林隆雄
「悲惨な未来」はときどき顔を出してくる。私の記憶には、いまでも1960年代の恐怖感、中学から高校生のころ、少年の多感さゆえの怯えが鮮やかに刻まれている。
 東西の冷戦、軍拡競争、ベトナム戦争という世界情勢の中で、米ソが最終戦争に突入する「フェイル・セーフ」や「博士の異常な愛情」などの小説や映画の衝撃は強烈だったし、少年漫画にも数多く登場したキノコ雲のシーンには、いつもおぞましいものを感じ、ときどき恐ろしい夢も見た。第3次大戦後のオーストラリア大陸に残された人々を描いた映画「渚にて」を見たときは、ラストシーンで涙が止まらなかった。
 それなのに心の底では、この地球から人類が多くの生命を道連れに滅んでいくという光景に、甘美な誘惑にも似た幻影を重ね合わせていたような気もする。
    *
「先生っ、またもの思いにふけってるんですか」
 K子君はフフッと鼻先で笑うような音を発しながら、書類をどかして、湯気の立つコーヒーカップを私の前に置いた。
「なあ、君の未来って、何色かなあ……」
「そうねぇ、バラ色なんてのはウソっぽいし灰色なんて辛気くさいことも言わないわ。うーん、『無色透明』かな、あまり考えていないな」
「地球温暖化とか、エネルギーの枯渇とか、そういう話を考えたことはない?」
「それってあんまり興味ないし、関係ないんじゃないですか」
 補助者のK子君は結構前向きな人なのだが、こういう話にはなかなかのってこない。もっとも友人たちの反応だって似たりよったりで、要するに「前向き」の向いてる方向が若干違うわけで、やはり私が変わり者だということなのかも知れない。
「でも先生……、この前言ってた『少子化』には少しは興味があるわよ」
「おや、どんなふうにだい?」
「若い女性の未婚率が高くなっているって言ってたでしょう。あれって、少子化とは関係ないんじゃないかなあ。だって、結婚と子供を産むこととは別だと思いません?」
 そりゃ私は法律家だから、事実婚より法律婚を重視してしまうわけだが……。
「結局、周囲にいい男たちがいなくなってるって感じなのよね。統計っていうのは結局タテマエなわけでしょう。子供を産みたいとか産みたくないとかいう女性の気分のところは見てないと思うんだけど」
「じゃあK子君は、子供は産みたいと思ってるんだね」
「まあね。でもまだよくわからないわ。友だちの中には、『仕事するから子供はいらない』っていう人もいるし、『オーストラリアとかカナダの男と結婚したい』っていう人もいるけど、……私の未来は『無色透明』って言ったでしょ」
 電話が鳴ったので、K子君は話をそこで打ち切った。
 なるほどなあ、統計から女性の「気分のところ」は見えてこないか。
 気分の部分というのは無視することができない重要な要素だ。これといって決定的な事実がなくても、気分ひとつで株の相場が左右されていることがままある。金融不安だって、気分の居所が悪ければ取り付け騒ぎにまで発展してしまうだろう。少子時代だから、こんな時代に子供を産むとその子に過大な負担をかけてしまうからかわいそうだと、ますます子供が減っていく。
 しかしその気分、言ってみれば嫌気を醸成しているのが構造だってことを、本当は早くわからなければならないし、わかっている人間は多くの人に知らせ、手を打たなければならない。
 二酸化炭素はどんどん増えて地球温暖化は進む。排出ガスの抑制だけではなく、光合成で二酸化炭素を吸収し酸素を吐き出す森林は伐採され、海草は海洋汚染で減少しているから……。経済が不安なのも、どんなことがあっても損をしないし痛みを被らないヤツらがいるからだ。資源が厳しくなるのだって……、結局どれも構造的問題に戻ってしまう。だからこんな時代に子供が減っていくのは、当然と言えば当然なのかも知れない。
 こうして私の目の前には、再び「悲惨な未来」が顔を出してくる。そのイメージは、ジワジワとした衰退だ。しかも気づくのが遅い民族とか国家という局地的な衰退。そこには甘美な香りも誘惑もない、ただの無気力な衰退……。
 でも私は、いまは多感な少年時代ではない。野太さも狡猾さもさまざまな経験から会得してきた。冷戦も最終戦争の恐怖も、問題を内包しながらではあるが回避してきたのはおそらく、滅んではいけないという多数の気分と、それを実行しようとする人間の知恵のおかげだったろう。これからもそいつを信じようじゃないか。日本人はそこまで愚かではないはずだ。
 と、うっかり伸ばした手が、カップをひっくり返してしまった! ああっ、書類がビショビショ! 机の上に「悲惨な現実」が、茶色に展開しつつある……。

 (月報司法書士 1997年12月号掲載)
  ひとくちメモ
 6年前の私はまだ希望を持っていたようです。しかし今、戦争放棄の憲法を掲げる日本が国連の決議もない国際社会の一員として軍(ある種の軍事マニアである私は自衛隊を「わが軍」と呼称して憚りません)を派遣しよう、というのですから……。私も『先生』と同じく無気力な衰退を危惧していたのですが、甘かったか! 今回の出来事には、強く大きな転回の前兆を強く感じてしまいます。
 それはさておき、年金の論議も急速に転回・展開しています。しかし、国民年金と被用者年金(主に厚生年金)の話が錯綜し、その狭間に公務員等共済組合が官民格差拡大の話題を提供し、議員年金がチラリと顔をのぞかせたりして、ニュースやワイドショーなどを見ていると、何が何やらごちゃごちゃで分かりません……。「あ〜面倒くさい、年金なんか関係ないワ!」という人々の声が、テレビの向こうから聞こえてきそうです。
 考えるに、これは仕組みがややこしいだけではないようです。注意深く探っていくと、いわゆる識者の話でも、「今日は昨日と同じ、明日は今日と同じ」という感覚の上に立って語られることが多いのに気付いてしまうのです。そういう感覚は、一般の人々はなおさら強いのではないでしょうか。
 そこで一度、日本の年金制度のあゆみをまとめてみることにしました。

●公務員等の共済組合----それは「恩給」から始まった。
 明治8年、傷痍軍人や軍人の遺族を扶助する恩給制度が誕生。その後いくつかの改正を経て大正末期に恩給法が制定されました。
 明治末期には官業の共済会や共済組合が保険方式として誕生、昭和23年〜34年の国家公務員共済組合法、昭和37年の地方公務員等共済組合法の制定により、公務員等の年金制度が確立されました。恩給は軍人恩給を除いて共済組合に統合されました。
 このうち、JR(旧国鉄)、NTT(旧電電公社)、JT(旧専売公社)の共済は、分割民営化等に伴い平成9年に厚生年金に統合されました。
●私学共済組合----黎明は私学恩給財団。
 私立学校の教職員は扱いが様々でしたが、昭和29年の私立学校教職員共済組合法によって確立されました。
●農林漁業団体職員共済----分離と統合の歴史。
 昭和34年に厚生年金から分離して発足、農林漁業団体職員共済が作られましたが、平成14年に再び厚生年金に統合されました。
●厚生年金----民業の被用者年金は船員保険から。
 昭和15年の船員保険を端緒、17年に労働者年金保険で一般の民業労働者の年金制度が開始され、昭和19年に厚生年金となり、戦後次第に充実が図られてきました。
●国民年金----国民皆年金?
 農業・自営業の年金制度として、昭和36年にようやく国民年金が誕生しました。これで「国民皆年金制度が実現した」と言われますが、上記の被用者年金加入者の被扶養配偶者などは任意加入だったので、それは正確ではありません。この制度の対象とならない明治44年以前生まれの人には、老齢福祉年金という無拠出の制度が設けられました。

 さて、この大雑把なまとめだけでも、日本の年金制度が今日のスタイルに至るまで、いかにバラバラの経過をたどってきたかがお分かりいただけるでしょう。そしてこの背景には、戦後だけを振り返っても「ベビー・ブームと戦後復興、戦争特需による経済の活性化」「急激なインフレ〜財源が急速に目減りする」「都市労働者が急増し、農業人口が減少し、核家族化が進む」「次第に長寿化する」「子どもの数が減り始める」などの現象が次々と起こっていたのです。「冷戦」「朝鮮戦争」「ベトナム戦争」「日米安保」「ドル・ショック」「石油危機」などを挙げだしたらきりがありません、20世紀後半もそれ以前と同じく、激動の時代であったことをあらためて感じます。
 昭和60年(1985)には、社会保障システムとしての公的年金を健全で安定したものするため、全ての公的年金の土台に基礎年金=国民年金が置かれ、国民年金だけの人は「第1号被保険者」、被用者年金の加入者は「第2号」、第2号の被扶養配偶者は「第3号」となり、一応は年金一元化のスタートを切りました。ただ、予想をはるかに超えた少子化の進行、長寿化による高齢者の増大、バブル崩壊から立ち直れない経済の状況が、現在のようなあわただしくも混迷した年金論議の状況を生み出しているのだと思います。
 今、年金給付の削減が話題になっていますが、実は昭和60年に基礎年金が設けられたときに、給付が下方修正されています。これについてはいずれ触れてみたいと思いますが、このような変動はこれまでも起こっていました。ただ、人々やマスコミがほとんど気付かなかっただけなのでしょう。
 これをお読みいただき、「これまでも状況は固定化していなかったし、これからも変化する」こと、「変化は必ずしも良い方へ転がるとは限らない」こと、「短期的に、自分にとって損か得かでなく、自分の子どもや孫の世代にどんな時代を引き継いでもらうか思案する」こと……などを考えていただくきっかけとなったら、うれしいです。このコーナーで何度も述べてきましたが、制度の問題と制度を運用するシステム(残念ながら責任を取らないシステム)の問題を混同しないで、冷静に考えていただきたいと願っているのです。
"恒久平和""戦争を永久に放棄"の「恒久」や「永久」とは、たかだか50年、60年程度のものだったのか……などと世の移ろいやすさをひしひしと感じて、暗澹たる気分に浸っていても仕方がありません、未来の色は、自分たちが塗った上に、後に続くものが塗り重ねていくものです。暗色を塗ってしまったら明るい色を重ねても濁ってしまいます。自分も含めて、たくさんの小さな存在の叡知を信じていたいと思います。 (2003.12.19)