第10話 となりの芝生     作・小林隆雄
 サラリーマンを辞め司法書士の世界に入ってそろそろ5年になる。そして、今頃の時期の悩みは「確定申告」だ。
 ぼくはまだそんなに仕事が多い方じゃないし、サラリーマン時代から始めていたボランティアに、自由職業人であることをいいことに首を突っ込み過ぎたものだから、収入は多くない。でも、補助者なし事務員なしの1人事務所なので、ぜいたくさえしなければ家族3人まずまずの暮らしといったところだ。だから確定申告はまだ自分でやっている。
 ところがこの作業がまた大変。事務所と奥の支出の分類に手間取ったり帳簿と領収書が合わなかったり、どう積み上げても経費がうまく立たなかったり……。
 一度税務署でこう聞いたことがある。
「経費はこれだけなのですが、この程度の収入なのですから、サラリーマンの給与所得控除と同じ程度バッサリ控除していただくというわけには……」
「いやいや、あなたは事業主なのですから、きちんと積み上げて帳簿をつけて」
「それじゃあ、絵描きの妻の収入60万円は、給与所得が650999円までの人と同じく、所得ゼロとはできないですか。配偶者控除にも、健康保険税の算出にも関係あるし……」
「奥さんも事業主ですから、ちゃんと積み上げてくださいよ。全額経費というのも、ちょっと乱暴じゃないですか?」
 こんな具合で、相手にしてくれないのである。
 給与が450万円だったら、給与所得控除、いわゆる「サラリーマンの経費」というやつが150万円もある。だまっていても会社の経理担当者が処理してくれるわけだ。サラリーマンの時代は「われわれには経費が認められない。服や靴、新聞雑誌、個人のワープロなども経費として認めよ!」という主張に全く同感していたが、立場が変わったらとんでもない。よほど高収入になれば別だが、ぼくのような低空飛行では労力や計算結果による税額の面でも、サラリーマンの方がよっぽど優遇されていたように思える。
 年金にしてもそうだ。ぼくの国民年金を、同世代のサラリーマン族の厚生年金に合わせるためには、よっぽどがんばって司法書士年金に積み立てしなければならないんだ。
 ぼくもあのままサラリーマンを続けていれば、厚生年金も月20万円以上とかそれなりにもらえただろうに。それなのにこのまま65歳になってもらう年金は、月額7万円程度の基礎年金プラスいくらか分からないが短い期間の厚生年金分。サラリーマンの同期だった連中と同じくらいの年金をもらうには、月々あと何万円かの保険料で司法書士年金の設計をしなければならないなんて……。
 月曜日の午前中ぼくが車を洗っていると、息子の友人の父親がゴルフのクラブをかついで通りかかって、「自由業の方は優雅ですねえ、うらやましいなあ」と言う。「おや、お休みですか」と聞くと「今日は代休でね。おかげで家族サービスは免れたけど、今度の連休には一家で伊豆へ出かけなくちゃならないんですよ」
 ええい、こちとら連休明けまでに片付けなきゃならない仕事をかかえてるんだよ! 最近は平日も休日も区別がないだけなんだ。家族サービスなんかしたくてもできやしないんだ。
 ボランティアのことにしたってそうだ。サラリーマン時代は家と職場の往復の毎日。接触するのは仕事関係の人ばかり。ところが今の立場になると、様々な人々と出会い、いつしかこちらが求められ、自分も求められていることを自覚するようになる。そうなると簡単に手を引くわけにはいかなくなる。勤務時間があるわけではないから、空いた時間にはそちらをやる。ボランティアが仕事の時間を食ってしまうことだってしょっちゅうなのだ。
 ところがサラリーマンときたら、会社がかりで、有給の「ボランティア」などとぬかす。善意だけでなく利害が見え見えではないか。あげくのはてに、サラリーマンから「おたくは余裕があるからボランティアができるんですよ」などと言われ、くさってしまうのである。
 それは「となりの芝生」だって? そう言われてしまえばそれまでのこと。でもぼくは愚痴はこぼしたけれども、となりの芝生を羨んでいるわけじゃない。自分で選択した道にはそれなりの誇りと自信を持ってるよ!

 (月報司法書士 1996年3月号掲載)
  ひとくちメモ
 少々季節外れの確定申告の話もさることながら、「給与所得控除」の額、サラリーマンをちょっと羨む心理などは、このストーリーを書いた1996年当時のまま転載しましたので、予めご了承ください。
 ところで、2005年の年金改革が間近に迫った昨今、テレビのワイドショーでも週刊誌でも年金論議が花盛りです。しかしいずこを見ても、「損か得か」「いくらもらえるか」という話題に終始し、「相互扶助」や「世代間扶養」という社会保障システム・公的年金の理念は、もはやどこかに消え去ってしまったように見えます。それとも、あのような議論を見て「ああ、浅ましい……」と思ってしまう私の方が、変なのでしょうか。ふと不安を覚えます。
 半数が国民年金保険料の「未納」という若い世代の、その理由の稚拙さにも驚きますが、それに反発する若いサラリーマン……なぜか女性が多い……の、「私たちが未納の人たちの分まで払ってあげるなんて、とんでもない!」などという主張を聞くと、認識の誤りを注意してあげたくなります。マスコミの無責任な取り上げ方にも問題があるのでしょうが、国民年金と厚生年金のそれぞれの人たちが互いに反目しあうような前兆が見えてしまって、となりの芝生どころか、もっと剣呑な空気を感じます。
 もっとも、多くの皆さんの言っていることも理解できないわけではありません。皆さんはただ「白」か「黒」かという、わかりやすい答えを欲しがっただけなのでしょう。しかし現在の状況は単純な答えを出すには、あまりにも厄介なようです。
 簡単に結論を出すのではなく、少しでも冷静に判断するための私流の素材は、だいたい次のようなものです。参考までに記しておきましょう。
@公的年金のシステムは基本的には間違っていないか。間違っていないと思う。しかし今日のような長寿社会、超少子化、さらに長期にわたる不況は想定していなかった。
A不公平感を助長する要素はあるか。いくつもある。拠出と受給のアンバランスを解消するとは言え、受給開始がどんどん遠ざかる厚生年金特別支給の順次繰り下げは不信感を拡大した/モデル年金額を「夫婦単位」で算出しているのも時代錯誤/国民年金の免除基準が厳しくなった=低所得の若者が免除申請しても、同一世帯の祖父母の年金所得さえ合算して「世帯の所得」を算出し、半額免除や免除が全く認められなかったりする/サラリーマンの妻・専業主婦は第3号被保険者になるが、自営業の妻・専業主婦は第1号である/などなど……。
Bそれでも年金制度は守っていかなければならないのか。守っていかなければならないと思う。公的年金などの社会保障システムが崩壊してしまうということは、即ち社会経済、社会の構造自体が崩壊し滅ぶことを意味するから、年金が「信頼できない」と嘯いてもどのみち他の選択肢はない。

 この論法を甘いと感じる方もおられるでしょう。実は私も、かなり甘いのではないかと思っています。しかしそれは、年金制度自体の問題というよりその背景に横たわる問題を感じるからです。基本のシステムが正しくてもそれを運用するシステムに大きな問題があり、年金財政の危機が叫ばれているにもかかわらず、相も変わらず大量の資金が不可思議な理由と方法で使われ続け、しかも誰も責任を取ろうとしないように見えます。若年層は安定した就労ができず中高年はリストラに怯え、給付を減らさずに世代間扶養の原資を補う税方式に重点をかけようとすると、さも当然であるかのように逆進性の高い消費税が真っ先にクローズアップされる……。
 やがて富の偏在は拡大し、年金など当てにする必要のない階層はますます富み、僅かな年金に命を繋ぐ階層はますます貧していく、そんな近未来が私の瞼の裏にチラチラしています。となりの豊かな人たちの庭は、美しく青い芝生に埋め尽くされ、どんどん鮮やかさを増していきます。
 ……いけないいけない、これでは私自身が「となりの芝生」症状に陥っているみたいじゃないですか。